2023/04/26

 

実家に帰ったとき、小学校の卒業文集を久しぶりに読んだ。タイトルは「なりたい自分」私は今悩んでいます。自分は何に向かっていきたいのか。将来どんな人になりたいのかも決まってないし、今でも友達関係や成績や家のことなど悩みが多いです。自分らしく生きたいけど人生上手くいかないもの。幸せだなって思う時は沢山あるけど、毎日悲しくなることもあります。朝起きて気分がいい時は今日は一日気分良く過ごせる!と甘い考えをしてしまい良いことがなかったりもします。幸せな人を見て胸が苦しくなったりもする。でもそんなの自分の心の中にしまっておかなくちゃいけない。それを言っても何も起こらないから。とにかく今は一つずつ自分がやりたいことを見つけたい。悩みを減らしていきたいです。これからなりたい自分を見つけていけたらなと思います。(省略)

 

びっくりするのが、小学六年生の私の悩みと現時点での私の悩みが全く同じだということ。十五年近く経つのにまだなりたい自分を探してるのさすがにやばすぎて今意味もなくワタワタしております。なかなか闇深いクソガキだった私。生まれ変わったら幸せな人になりたいとまで書かれていた。なんて親泣かせなクソガキなんだ。でもまあ、うん間違えではないというか本当に子供の頃は今の何倍も何十倍もいっぱい我慢してた。自分の怒りの沸点が分からなくて兄にテレビのチャンネルを変えられただけで泣き叫んで風呂場に閉じ籠ったりしてた。子供なんて無力な生き物だからね。我ながらよくも非行に走らないで大人になれたなと思います。

 

昔から原稿用紙があると渡された枚数分、最後の一マスまで文字を埋めるのが好きだった。特定の誰かはいないけど伝えたい言葉は死ぬまでに伝えきれないほど沢山ある。小学六年生の私は誰かに助けてもらいたかっただろうか。それともただ「私はこういう人間なんだ」と伝えたかったんだろうか。どちらにせよ何も変わっていないんだから上手いこと救われなかったんだよな。人のせいにはしないけど自分のせいにはさせていただきます。大人になってから大人だって自分の人生だけで精一杯なんだと気付いた。それでも親になろうとする人がいて、子供はまた道に迷うのかもしれない。私が親になる日が来るのかは分からないけどもし子供に伝える日が来たら何通りかの道を用意しておいてあげたい。