2023/03/28

 

死ぬとどうなるんかなと時々考えては怖くなり考えるのをやめる。著名人の訃報に「ご冥福をお祈りします」と片手一つで文字を起こす作業にいつも違和感を抱く。こんなにも呆気なく生死に区切りをつけられるのなら死ぬことも大それたことではないように思う。色んな命に敏感な年齢に差し掛かり、私が誰よりも早く死んでしまえばこんな恐怖からも解放されるのにと平気で口にしてしまう。ドラマや映画に影響されることもしばしば。よく夢の中では余命宣告をされています。よく頭の中では自分のお葬式を想像しています。もし本当に今死んだら「まだ若いのに可哀想ね」とか「結婚もせずに子供も産まずに不憫ね」とか言われるのかな。余計なお世話すぎて簡単に成仏できるかもな。

 

誰かの願いを叶えるには誰かの心をすり減らすしかないっぽい。誰かを守るためには誰かを悪者にするしかないっぽい。何にも分からない子供の頃にあらゆる選択肢を間違えてきたせいで今めちゃくちゃ苦しい。自分で自分の首を絞めるというのはこういうことかって感じ。涙を我慢できるようになった部分は偉い。一人になるとやっぱりどうしても泣いてしまうけど。死にたい理由は幾らでもあって、ただほとんどは人に言えない。こんなもんで死にたいだなんて贅沢者だと言われてしまう。苦しくてたまらないときは幸せだった日々を巡らせる。巡らせてる間だけは此処に留まることができる。この世には魔法も呪いも存在しないから自分自身で丹精込めて作り出すのだ。

 

家族は私にとって永遠の課題。笑いながら話しても心の中ではワンワン泣いている。優しい人たちばかりなのに成立しない関係性とは何だろうか。無意識のうちに「大丈夫」「駄目」の線引きをして生きている。こうなったのも仕方がなかったからだと諦めると全部が「大丈夫」になる。それを望んでるのはいつだって大人だけでしょう。子供には母親が必要だという先入観に救われたかった。もう少し早く救われたかった。どんな背景があっても記憶できるのは私の目に映ったものだけなんだよな。期待しないこと信用しないこと顔色を伺うこと。それだけが私に残った生きる術。酔っ払い顔を赤らめた父親が口にする言葉はいつも決まってる。誰かの夢を叶えるためには誰かを傷つけて誰かを悪者にして私だけが知らん顔しなくちゃいけない。正直なところ、そんな勇気はない。