2022/12/04

 

何かに囚われて生きてる自分って本当にダサい。自称「偉い人」の話を真に受けてる人間の横顔は見覚えがある誰かの鏡のようだった。息を吐くように他人の機嫌を取る言葉が出てくるのは大人になった証拠ですか?堅っ苦しい社会で働く者として何か意見はございますか?テレビで紹介されていた漫画をお試しで読んでみても、そこには見覚えがある誰かの鏡がズラーっと並んでた。簡単に何かに共感できてしまう自分って本当にダサい。着ている服もお化粧も誰かの目を意識してるって本当にダサい。でもそう思ってるのって結局自分だけなんだろうから今はそれでいいんじゃない?私の心の中は常に私の独壇場。誰も入る余地はありません。

生理が終わってからの一週間は多分何をしても何を言われても無敵。そうなれたのもつい最近なんだけど、生きやすい事実に越したことはない。ハイブランドの紙袋とピントをぼかした男を並べて「今日はありがとう〜♡」と全世界に更新中の女の子たちに勝てる奴はいるのか。多分いないと思う。生きやすいとは言っても周りを見渡すと私にとっての生きやすさが女の子たちの平常だったりする。失恋するたびにラブソングを作るアーティストのように劣等感を味わうたびに全てをリセットしたがる私。今日がスタートだとして何がどう変わるんだろう。だって気休めにしかならないもので気休めになった試しがない。そういう人間だってのに。

 

毎年のように冬は訪れるのに毎年のように冬の寒さに驚いている。年末は仕事をして紅白を見てお風呂に入りながら年を越す。おめでたいことなんてひとつもないけど一応「おめでとうございます」のテンションを高めておく。じいちゃんばあちゃんの家であったかいお雑煮を食べるイメージをしておく。なんだか泣きそうになってくる。もう今年が終わることも、もう自分が大人であることも、あらゆる過去がどんどん遠ざかることも。あーあ寂しいね。寂しいの言葉が年々増えていく。いつかは死にゆく命でも向き合いたくない現実ってものは腐るほどあってね。今はまだ気付いていないふりをしてるけどカウントダウンは始まってる。