2020/07/25

 

自分のことが嫌になるたびに理想の自分を思い描いてきた。これは応急処置みたいなものであって傷口はすぐに開いてしまう。縫い合わせても貼り合わせてもすぐに剥がれてしまう。これの繰り返しを何度も繰り返しながら今日までやってきた。後悔が消えることはない。悲しみも簡単には癒えない。疑心暗鬼。最近の私は何もかも薄い膜で張られているかのように目の前が霞んで見えてしまう。人間は怖い。

 

他人を疑いたくないと前に書いた。でも実際は信じるものがあまりにも少ない。例えば冷凍食品に書かれている食べ物を温める時間さえ信じることができない。洋服屋の店員さんが言う「よくお似合いですね」なんて信じろと言う方が難しい。あくまでも疑いたくないのは他人の悪の部分。誰もが幸せであるべきだと思いたく、誰もが優しい心を持っているものだと思いたく、誰もが明るい未来のために生きていくと思いたい。

 

ご冥福をお祈りします。こんなテンプレートがネット上で飛び交う世の中だ。お気持ち表明は決して不特定多数の人間に届けなくてはならないものではない。相手を思う心を安売りするべきではない。私は私自身のことを書き、どうでもよくない人間のことを書き、本当に大切な部分は閉じ込めてきた。ご冥福をお祈りします。その言葉を打ち込む瞬間、どこで何をしていたんだろう。ただ人の死を哀れむためだけの表明であれば胸の内でやってくれ。

 

最近ネットでは待ち受けにするだけでフォローをするだけで願いが叶うという何かが流行ってるらしい。私の願いはそんな運試しなんかでどうにかなることばかりではない。なんだか悲しくなった。なんで上手に正しさを辿って進んでいかないんだろう。夢を夢のままで終わらせてしまうことが正しさなのか。数ヶ月前に読んだ本の中に「諦める理由を探してた」という台詞があった。とても悲しくて苦しかった。

 

できるだけ肯定して生きていたい。人に対しても物に対してもそう。駄目な部分ではなくて価値のある部分だけを見ていてあげたい。それが正解だとか不正解だとかは一旦置いておこう。わざわざ何かにケチをつけて楽しいのか。自分にとって得になるのか。相手のためは自分のため。そうでしょう?きれいごとだと笑ってる暇なんてないんだよ。相手のためは相手のためだけのもの。

 

今年の梅雨は長い。雨の音は不安になる。テレビに映る景色を他人事だと思いたくない。目まぐるしく過ぎていく。歴史が更新されていく。誰かが死にました、誰かが罪を犯しました、このままでは日本が危ない、あの人があの記録を塗り替えました、来週には梅雨明けが期待できるでしょう、来年のオリンピックは、

 

自分のことはあんまり好きじゃない。めんどくさいなと思う。ダサいなと思う。馬鹿みたいだなと思う。期待を下回る人生は送りたくない。私は別に悲劇のヒロインでもない。想像通り予定通りを目標にこの足を進めていきたい。理想の自分を思い描くという応急処置は常にストックがある。きっと私はそのおかげで大事には至らずやってこれたんだろう。運がいい。