2020/05/30

 

大阪に帰るとパパは必ず「ご飯付き合って」と言う。今回はいつものお店が開いてなくて一駅先まで歩いた。お酒を飲みながら最近観た映画の話をする。酔いが回り始めた頃に撮りたい映画の話をする。帰り道、風が気持ちよかった。少しだけ夏の匂いがした。パパの背中は毎年小さくなってる気がする。

 

生きていると自然と人を好きになる。それは身近な存在に限らずアイドルやアーティストや人間以外かもしれない。私も自然と人を好きになった。彼の人生に私の人生を委ねたいと思った。私の場合はつい最近の話ではなく私がまだ制服の袖を通したばかりの頃の話。多分、いや間違いなく私の人生の一部だった。彼を応援することで満たされ励まされ生かされてきた。

 

こんなこと誰にも分かるはずがない。彼の顔や名前や言動は知っていても彼に対する私の気持ちは誰にも分かりっこない。愛の形が恋愛や友情だけのものじゃないことなんてみんな知ってるはずなのに私はなぜ何も知らない人たちの言葉によって深く傷つき、彼を好きになった自分自身さえも疑わなくてはならないの。

 

人は簡単に人を殺せるのです。手に包丁を持っていなくても殺せるのです。人はいつだって守るべきものを守らずに自分を守る。自分を必死に守った上で守りきれなかった存在に対し何かを残そうとする。誰かの涙を作ったあなたも誰かの悲しみに入り込んだあなたも誰かの不幸を自身の言葉に置き換えたあなたもみんなみんな自分を守ることに必死なのです。きっと私も。

 

今年のおみくじは確か凶だった。それがどうしたと言われればそうかもしれない。だけど心の奥底にずっしりと重たい何かが居座ろうとする度に神社で引いた凶みくじが脳裏を過ぎる。あのとき神様にお祈りした願いだけでもどうか。そう思わずにはいられない。

 

大切なものは沢山ある。愛おしいものも沢山ある。守りたいものも庇いたいものも支えたいものも。それをどうか互いに補えるものだと勘違いしないでほしい。私が持っているのは全てが入る大きな箱ではない。一つ一つ丁寧にラッピングされた箱の中で保管していることを忘れないで。どうか、忘れないで。

 

冷たい風を感じながら私は思った。何があろうとも私は私の人生を全うするしかないのだ。悲しみはやがて消えてゆくと誰かが言う。そうじゃないのよと私は返す。悲しみを悲しみと捉える覚悟の話をしているの。遠い遠い未来の話をしているんじゃない。近い近い未来の話をしているんじゃない。今の話をしているの。