2020/07/04

 

私はいつも生きるとか死ぬとかそういう難しいことばかりを考えている。ほんの数ヶ月前までテレビにかじりついて誰かの生死を見届けていたはずなのに今は目を塞ぐようにしてどうにか避けていこうと必死な様だ。毎日数字が前後する。生きるとか死ぬとかそういう難しいことばかりを考えている。

 

小学生の頃じいちゃんと散歩をしているときに教えてもらった話。「ここら辺に咲いてるタンポポの半分くらいは外国からやって来たんだよ」こんな感じの話。人間と同じだな。そんなことを考えた。そして私は帰ってから1つの詩を書いた。なんで書こうと思ったのかはあんまり覚えていない。しばらくしてからパパが毎朝聴いていたラジオで私の詩が読まれた。自分の言葉が誰かの心に響く。そして広がっていく。あの喜びが、感覚が、今もまだ私の中にあるんだろう。大事にしたい。忘れたくない。失いたくない。ずっと、ずっと。

 

悲しくて泣いているときはよく分かんないことを思い出してしまう。最近見たバラエティ番組で売り出し中のアイドルが発した一言。数年前にしていた派遣バイトで知り合ったおじさんの顔。高校生のときに毎朝歩いていた通学路。仲良かった友達の柔軟剤の香り。

 

自分のために泣く。誰かのために泣く。自分のせいで泣く。誰かのせいで泣く。私は本当によく泣く人間だ。好きなアーティストの若かった頃の歌声を聴いているだけで泣きそうになる人間だ。真っ青な空を見上げただけで泣きそうになる人間だ。満員電車で震えているおじいちゃんを見つけただけで泣きそうになる人間だ。流れた涙が頬を伝ってこそばゆい。

 

最近の女の子はみんな同じような服を着て同じような口紅を塗って同じような背丈をしている。この前、前髪を切った。最近の女の子みたいな前髪にしたかったけど鏡に写った私はマイク片手に歌い出しそうな昭和の女の子だった。こんな私でもちゃんと愛してくれるような男性と人生を添い遂げよう。なんてことを思った。

 

誰かを愛するってなんでしょうか。人間、生きようと思えば一人でも生きてゆける。もう結婚なんてできなくたっていいや。死ぬまで一人で生きてやらあ。そんなことを考える日もある。今までの恋愛はどう繕っても綺麗な思い出にすることができたでしょう。新しく何かが始まる予感なんて今の私に必要があるのかい。

 

人は必ず死ぬ。生きるとか死ぬとかそういう難しいことばかりを考えている。自分の人生を正当化したいわけじゃない。自分の人生を認めてあげたいわけでもない。強いて言うのであればいつか死んでしまうとき、ふと思い出す記憶が美しく優しく温かいものであってほしい。全ての蟠りが溶けて消えていくほどの壮大な愛が私自身を包み込む日を待っている。