2023/03/08

 

この人に言われるから引き摺るよなって言葉は割と多い。今になって子供の頃に言われたあれこれを引き摺っている私が証拠です。嫌われたくない精神ほど無駄なもんはない。ちなみに嫌われたくないだけであって好かれたい精神はそんなに。むしろ遠くから見ていて「あいつ悪い奴じゃないよな」と何となく認知だけしていてもらいたい。烏滸がましいので直接口にはしませんが。根っこが未だにオタク気質だから気が合って仲良くなれば秒で親友になれる自信がある。まあそんなもん長らくできてないから説得力の欠片もなかったな。しかも思えば長続きもしていなかったな。こういう切ない記憶を遡る場合は全部自分のせいにするのが楽です。

 

父親の血が私の中で流れていることが嬉しいと感じる今日この頃。小学生だったかな、ある日パパが小説を書き上げた。それを出版社に持っていくのについて行ったことがある。この間大阪駅まで送ってもらってる最中、その話をした。私の記憶では長編小説なのに実は短編集だったらしい。話を聞いてるだけで面白くて天才で阿呆らしくて最高だった。うちの家族は色々あって地獄みたいな時期もそれなりにあって、だからなのかその小説も残ってない。パパの頭の中にしかもうない。今だから楽しくおかしくお喋りできてるだけなのだとしたら、それはものすごく幸せで不幸せ。なかったことにできないならば思い出すときくらい穏やかでありたいのが本音。小説を出版することは結局なかったけどパパが小説を書き上げた事実が誇らしくて。ああ、私にもこの人の血が流れているのなら出来なくはないんじゃないかって。そんなことを時々思うんです。

 

ずるい人間でいることも弱い人間でいることも今のところ自分にとってはプラスなのかもしれない。考えるのも嫌だから考えてないけど、これ以上歳を重ねていったところで私は幼い心のまま体だけがすり減っていくんだろうな。泣いたり怒ったりは精神的にも負担がかかる。何もかもに対して無になれたらそれはそれでどうなんだろう。どんな風に生活すれば程よく味わい深く豊かに過ごしていける?自分らしさを見失うと何に並んでるのかも分からない行列の最後尾にスッと並んでしまう。後ろにもどんどん列ができてきて抜け出せなくなる。人間はそもそもそういう風にできてる。はみ出したもん勝ちなんだろうけど、今の私にその余裕があるかと言われると微妙なところなんだな。難しく考えすぎかな。