2023/11/02

 

子供の頃、好きなアーティストがいつもと少し違う感じで歌う曲を聴くのが照れ臭かった。ふいに流れてきたときは耳を逸らして聴こえてないふりをしてた。でも久しぶりに聴いたその曲はなんにもおかしくなんてなくて優しくてあったかい声だったのは何故だろう。今めちゃくちゃ生きるのが難しくて苦しくて毎日よく分かんなくて。音楽とか言葉って何年経ってもどれだけ使い古してもあの頃のまま何も変わらず存在してくれるから嬉しい。苦しくてよく分かんないときでも絶対に味方でいてくれるから嬉しい。私だけが少しずつ少しずつ変化してあらゆる角度からそれらを見て読んで聴いてあげられるようになったみたい。全然悪いことじゃない。ただ寂しいだけでずっとずっと寂しいだけ。

 

じいちゃんが死んで3週間が経った。独りになったばあちゃんは「今は色んな手続きで忙しくて悲しむ余裕がないの」しか言わない。私が思ってた以上に私の家族は様々な問題を抱えていた。じいちゃんとのお別れもなんだかすごく呆気ないものだった。お骨上げのとき、燃え切った棺から込み上げてくる熱気で目が痛んで涙が出た。あの数日間はパパの顔をあまりよく見れなかった。著名人が亡くなるとネットには「ご冥福をお祈りします」の言葉が溢れかえる。私はまだじいちゃんのご冥福をちゃんとお祈りできてないかもしれない。みんな本当にあの人と二度と会えないことを理解して言葉を発信してるんだろうか。人間って不思議な生き物だな。

 

中学生の頃、願書提出の行き道で迷子になって知らないおばさんの車に乗ったことがある。そのまま高校まで送ってもらい無事に出願はできたんだけど帰り道もまた迷子になった。予定よりも2時間くらい遅く学校に着いた。部活にも出られず職員室以外の電気は全部消えてた。私が職員室のドアを開けると先生たちが一斉に立ち上がって「帰ってきた!」と叫んだ。生徒1人のために残業をしてくれた先生たち。そんな心配もよそに呑気な顔して何事もなかったかのように帰ってきた私。職員室の灯油ストーブの匂いと白くて明るい蛍光灯の光。その後の塾は本当は休みたかったけどパパに「行きなさい」と言われて行った。友達もみんな心配してくれてた。寒くなると蘇るこんな思い出たちのおかげで私は今も生きている。今年も残り2ヶ月となりました。

 

ちなみに知らないおばさんの車に乗ったことは先生にも親にも卒業するまで何回も怒られた。