2023/02/04

 

日々「あの頃のあの人に会いたい」みたいな叶いもしない夢を抱えて眠る。買いたかった本とか見てみたかった景色に出会うのは簡単なのに思い出の共有は難しい。本当にどうしようもなく辛いとき、ご飯を食べたりお風呂に入るのすら辛いとき、そんなときに私を救ってくれるコンテンツが10代の頃から何にも変わらない。それが有り難くて情けなくて寂しくてね。部屋の片隅でガラケーワンセグでアンテナを立ててこっそりとMステを見ていたあの頃に戻りたい。あの頃のあの人たちに会いたい。今でもずっと私を救う音楽や映画や言葉たち。そんな全てに出会った頃の私に会いたい。出会い直して一から今の私を構成したい。

 

全然忙しくもないし切羽詰まってるわけでもないのに余裕がない。あらゆる隙間のほんの数ミリに何とか他人を思いやる心だけが開いてる感じ。朝のメイク中、鏡の高さが合わなくて咄嗟に近くにあった本を台にした。鏡の下に敷かれた大切なはずの本たちを見てカルテット(坂元裕二作)の鍋敷きのシーンを思い出したりなんかしてた。何にもない休みの日に見たかったドラマを一気見するのが好き。それこそ余裕がないとできない過酷な戦いである。ここ数年は毎日のように録画の残量に追われている。もはや作業になってきていて良くない。私にとって娯楽は心に余裕をなくしてまで自分を追い詰めたい作業なんだろうか。もしくは試練?大人になると楽しみ方を忘れがち。カルテットが放送されていた頃、いつも好きな台詞や素敵なシーンをメモに書き溜めながら見てた。あ〜そういうのが良いよなと。

 

便利な時代になったけどチケットは紙で欲しい。青い封筒で家に届いたり、コンビニで発券したりしたい。自分から電話をかけて当落を知るドキドキも今の高校生は知らないんだな。スマホ一つで全て解決するんだもんな。私が置いてけぼりなのはいつもだけど、いずれそんなことも気にならなくなるのかもしれない。知ってる有名人はどんどん力尽きてって平成時代も懐かしさだけの過去になって。解散したバンドが何十年後かに再集結する明るい未来だけを見届けたいよ。私のソレは多分叶いっこないんだけどね。職場では絶賛退職ブームです。ファミレスでドリアを食べる友達を見て「私もドリアにすれば良かったな」と後悔するように、同じ波に飲まれず歯を食いしばる自分にいつか後悔してしまうんじゃないかと怖い。それでもしぶとく生きてやらあ。