2020/06/13

 

お金が貯まってく。録画残量は減ってく。相変わらず眠りは浅くて不安は多い。猫を撫でたりお米を食べたりしながら心のバランスを取る日々。誰かのために生きることよりも自分のために生きることの方がなんだかんだ難しい。梅雨入りが発表された。湿度の高い部屋で雨の音を聞きながら真っ赤なネイルを塗る夜。

 

昔は不自由を自由に変えることができた。仕方ないことは仕方ないこととして飲み込むことができた。生温い牛乳があったとして、気付かないふりをして飲むことができた。美味しいとか不味いとかはどうでも良くって飲むか飲まないか。それが何よりも大事なんだと思っていた。昔の私は偉い。きっと今よりもずっと辛いことが多かったはずなのによく笑っていた。楽しさと悲しさをちゃんと分けられていた。

 

世間体がどうだとかそういう頭の痛い話ばかりが並ぶ世の中を平和と呼ぶのはどうかと思う。このご時世で生き抜くには自分を殺すしかないのでしょう?そんなことを平気で言える大人にはなりたくなかった。昔の私が散々耳に流し込んでいたあのアーティストのあの名曲、今聴くと正しいことしか歌っていない。

 

中学生の頃は吹奏楽部に入っていた。放課後になると廊下に出てみんなで練習をした。土曜日は運動部みたいに準備体操をする。秋になれば楽譜が増える。メトロノームの音を聞いていると落ち着いた。二度と取り戻せない眩しさがあるのならばきっとこの頃だろう。ステージの上でスポットライトを浴びていた私は誰よりも眩しくて輝いていたはずだ。

 

雨は好きじゃない。学生時代、雨になると体育の授業がドッヂボールになるのがとても苦痛だった。思い出しただけでも体が痛くなる。窓の外を眺めていると傘をさす人々が狭そうにぶつかりながらすれ違っている。傘をさしながら器用に自転車に乗る学生もいる。雨はまだ止まない。生きるのは大変だなと思った。

 

今年ばかりは大袈裟に哀れな人間を演じたっていいだろう。希望さえあれば良かった。今の私は生温い牛乳を飲もうという発想がない。不味いものには手を出したくない。辛いときに笑うこともできない。楽しさと悲しさを同じお皿に乗せてしまう。そうなればもちろん悲しさが勝つのだから。また笑える日まで牛乳は冷蔵庫で冷やしておこう。大丈夫よ、腐ることはない。

 

梅雨の季節。猫を撫でたりお米を食べたりして心のバランスを取る。行くはずだったライブのチケットは幻となりお金だけが私のお財布に返ってくる。仕事の帰り道に遠くで信号機が光っている。目を細めると光が一気に目の中へ入り込んだ。ああライブに行きたい。友達に会いたい。やっぱり希望は捨てたくない。センチメンタルな気持ちだけが光と共に体中を巡った。