2020/04/25

 

みんな元気ですか。ご飯は食べてますか。最近は手紙を書くことも減ったから改まった言葉を綴るのには勇気がいる。私は自分のためだけに書く日記を続けられなかった。だから誰かが読んでくれるかもしれない場所で誰かのために言葉を綴ることにした。どうやら面倒なことになんでもかんでも文字に起こさないと気が済まない性分らしい。いつも頭の中が散らかっていて困る。

 

最近よく思う。私が誰かのためにしていることは全て相手にとっては「頼んでもないのに良かれと思って勝手にしてること」なんじゃないかって。見返りは求めていないと意地を張ってみるけど、心のずっと奥の方で寂しくて悲しい気持ちがうずく。人間は惨めな生き物です。優しさは必ずしも繰り返されるものではないというのに気付かないふりをして心の傷に蓋をする。

 

最近よく思う。当時それなりに話題になったドラマや映画を見返すたびに人は一体何を学んで生きてきたんだろうと。あんなにも私たちに大切なことを教えてくれていたでしょうに。学んでは忘れ、また新しいことを学んでは忘れ、残ったものだけを美化していくのか。あの主人公が流した涙はどこへ旅立ったのだろう。

 

贈り物に添えるメモ書きはちゃんと読んでくれると思えた人にだけ書く。ある音楽を聴くたびに思い出す人がいる。小さな紙切れであろうと誰かから貰ったものは捨てられない。「また会おうね」と約束した人の名前は忘れない。誰かにとっての私もそうでありたい。

 

暗くなった夜行バスの窓のカーテンの隙間から見える景色が好きだ。明かりが漏れないように注意をしながら高速道路の照明の光を瞳の中にたくさん集める。あの時間が大好きだ。夜行バスに乗っていると、永遠は案外すぐそばにあるんじゃないかと思ってしまう。だけど必ず朝は来るし目的地にも到着する。それぞれの人生がまた始まる。生きるってそういうことだと気付かされる。

 

二年くらい前から自分のことが分からなくなった。人前で平気で涙を流せる人間になった。伝えたい言葉が喉に詰まる。電車に乗るまでに時間がかかる。人と会うのに勇気がいる。私は目の前に二つの道が伸びているといつも間違った方へ歩いてしまう。そして途中で間違えたことに気付いてしまう。いつも思う。スタートは要らないからゴールが欲しい。枠の外から覗くと平凡に見える人生だって、自分が不幸だと感じたらそれは不幸でしかないんだ。悲劇のヒロインは自ら作り上げた虚像。

 

明日には興味がない。昨日の自分は今日になってようやく愛してあげられる。テレビの向こうに見える景色が私の生きる「今」だということを忘れてはいけない。忘れたくない。誰かが綺麗事だと嘲笑っても信じたいと思える言葉があるだけでいいじゃないか。届けたいと思える言葉があるだけでいいじゃないか。めいいっぱい届けてやろうじゃないか。