2020/05/16

 

今の人生はあの頃の延長戦だといいな。そんなことをよく思う。映画を観た後に話したい誰かがいることには変わりないのにあの頃と今とで違うのは話したい誰かが近くにはいないこと。近いようで遠く遠いようで近い。もどかしさだけを胸に抱えて今日も眠りにつきました。

 

どれだけ人間の欲深さや汚い部分を描いた作品があったとしても私たちは映画みたいな人生は送れない。どれだけ人間の欲深さや汚い部分がねじ込まれた実体験を聞いて「映画みた〜い」と驚いてみたとしても私たちは映画みたいな人生は送れない。シーンが変わってもあの悲しみは消えやしないよ、季節が変わってもあの寂しさは消えやしないよ、私にカメラが向く。そういうときに限って涙なんて流れてはくれない。

 

プリクラ帳を開く。あの頃は初めて遊んだ友達と撮ったプリクラにだって平気で「親友」というスタンプを使って落書きをしていた。私の親友は一体誰だったのか分かりゃしない。また会おうねと約束を交わしたうちの何人とまた会ったんだろう。あの子としていた交換ノートは今どこにあるんだろう。ぼやけた記憶の中でも鮮明に覚えているのはダイエーの前のベンチでイヤフォンを半分こして一緒に音楽を聴いていた◯◯ちゃんの笑顔だったりする。

 

大人になったなと思う。それは中身の話ではなく見た目の話に過ぎないけれど、私はちゃんと大人になったなと思う。ビールが飲めるとかカードを作れるとか一人で市役所に行けるとかメイクが上手になったとか。そういう些細なことだけど大人になったなと思う。嬉しい?それはどうだろう。どちらかというと寂しいよ。

 

自分が信じたいものだけを信じればいい。誰かが言った言葉の方が正論だなんて確かめる術はない。自分が愛したいものだけを愛すればいい。それが間違いでも正解でも答えが出る日はきっとこない。それでいい。自分が大事にしてきたものが一瞬にして壊されたとしても大事にしてきた時間は本物だ。壊されたものを自分のためにまた作り上げてゆけばいい。何もかも分かっていても心の中が不安だけで満タンになることがある。顔も知らない誰かの意見に全身を揺さぶられてしまうことがある。これは仕方のないことなんでしょうか。

 

最近は声を使って誰かと会話をすることも減ったように思う。あの頃はめいいっぱいの鍵かっこの中で色んな人と色んな話をしていた。好きなアイドルの話。昨日見たドラマの話。くだらないことも真剣な悩みも全て人と人が向き合い話すものだと思っていた。時代の流れに逆らいたいとかそういう話ではないけどこのままだと大事なものを見失いそうで怖くなる。こんなことを考えるのはこういう時期だからなのかもしれない。

 

今の人生があの頃の延長線だとすれば、いつでもあの頃の自分に辿ることができるんだろうか。先の見えない不安よりも戻れない道ばかりが繋がっていく不安の方が私は怖い。新しい出会いが増えることよりも今までの仲間が離れていく方が私は怖い。きっと難しく考えるほどのことではない。そう分かっていても分からないふりをして自分自身と折り合いをつけていく。