2020/05/09

 

ママと住むようになって気付けば半年が経ってた。ママが家を出て行ったのはかれこれ十年以上も前で十年以上もの間、違う場所で全く違う人生を歩いていたのかと思えばちょっとだけおかしい気持ちになる。ママは夏祭りの日に家を出て行った。朝早くに私の髪の毛を可愛く編み込んでくれた。ママは私の浴衣姿も見ないで家を出て行った。あれから十年以上も経ったらしい。

 

そもそもママと一緒に暮らしていた記憶はあんまりなくて、もっと言えばママの人生そのものをよく知らなくてもっともっと言えば私にとってのママは「ママ」という人間であり「母親」ではないのかもしれない。もちろん本人に言うわけがない。ママにとっての私は「娘」に変わりないのだから。ただこういった関係のズレがこの半年間で見え隠れしていてるのは私もママもきっと気付いていて、でも決して口にはしない。

 

私にとっての当たり前が私以外の人にとっての当たり前ではないこと。私にはおじいちゃんが三人いて従兄弟は何人いるのか分からない。ママが今一緒に暮らしている男の人はどういった存在なのかを上手く説明することができない。私も今ママと暮らしていて、というわけはその男の人とも一緒に暮らしているんだけど、やっぱり二人の関係がどういうものなのかよく分からなくて。私にはもちろんパパがいて。もうママと夫婦ではないこともちゃんと知っていて。そういうことではなく、私は一体なぜここで生きているのか。そのことだけを考えていたのです。誰も教えてくれないから。

 

パパは不器用な人だ。私はそんな不器用な部分だけ器用に似てしまったようだ。パパは毎日同じ時間に起きて同じ時間にご飯を食べて同じ時間に落語を聞いて同じ時間にトイレに行って同じ時間に寝るような人。それなのに笑えるくらい不器用な人だ。私はママが家を出て行ってから長いことパパと上手に会話ができなかった。映画が好きなところも面白い話が好きなところも寂しがり屋なところも似てるのに不器用な部分だけが分かりやすく似ているものだから上手に会話をしてこなかった。

 

初めて一緒にお酒を飲んだのはいつだっけ。パパと楽しくお喋りをすることがこんなにも簡単だったなんて知らなかった。パパは嬉しそうにお酒に酔った真っ赤な顔で「また何回も一緒にお酒を飲もう」って言った。私は十年以上もの間、こんなにも私を愛してくれる人と上手に生活できなかったらしい。私は今パパと離れて暮らしている。こんなにも私を愛してくれる人から離れて知らない男の人と暮らすママの元へ逃げたのだ。私は一体なぜここで生きているのか。そのことばかりを考えているのです。誰にも教えてもらえないから。

 

ママは毎日おいしいご飯を作ってくれる。毎日洗いたての洗濯物が部屋のテーブルの上にあって、お布団からはいい匂いがする。学生のときにずっとずっと食べたかったお弁当も作ってくれる。私が欲しくてたまらなかった生活を全て与えてくれる。ママにとってはこれが償いだとしても私にとっては欲しくて欲しくてたまらないものだった。こんな生活を求めて私はここに来た。これが答えのはずだった。だけどママは私に作ってくれるのと全く同じご飯を知らない男の人にも作っている。

 

誰かにとっての当たり前は私にとっての当たり前とは違うから、私は私の人生を全うしなくてはならない。誰も教えてくれない答えを見つけ出して全うしなくてはならない。だけど不器用だからまた間違えてしまったのかもしれない。私は私だけの幸せのために生きることはできない。もう子供じゃないから色んなことを受け止めて色んなことを許して色んなことを理解しなくちゃいけないらしい。それなのにこんなことを考えていると涙が止まらなくて困る。文章もまとまらなかった。