2019/11/26

 

大人になったなと思う。お酒が飲める。一人で市役所に行ける。高級な服も様になる。朝まで遊べる。メイクが上手になった。知識も増えた。そしてその分失ったものも多い気がする。それが何なのかはまだ知らない。

 

いつだったか友達と地元の道を歩きながら「未来に希望を持つ人生を歩みたいね」なんて話をした。ランドセルを背負って一緒に通学してた子とほろ酔い気分でそんな話をする。なんだろう、それだけで今までの人生までもを愛せる気がする。また1人、一度は仲良くなった昔の友達が結婚をした。私の足が少しだけ駆け足になる。

 

休日の昼下がりにママの作ったうどんを食べながらああ私が欲しかったものはこれだったんだと気が付いた。ずっとずっと欲しかったものが手に入ったんだと気が付いた。だけどもう遅い。遅いよ。今の私はこんなことでは満たされない。

 

日曜日の夜中に見る関ジャムが好き。自分の知らない音楽が、この世には、まだこんなにもあるんだと知る。スマホのメモ帳に色んな言葉が増えていく。最近追加されたものは「ラブホチェックアウト後の朝マック

 

映画を観にいくためだけにお金を使いたいと思ってもライブにだって行きたいし本も買いたいし友達とも遊びたい。なんなら好きなアイドルのCDだって買うしたまには雑誌だって買うし旅行も行く。欲が消えない限りこれは続くこと。いやこれは欲って言うんだろうか。大それたことを言えば「生」なのではないか。生きる。その証明なのではないか。

 

時々、不安になるんだ。置いてけぼりにされている気がして怖くなる。後ろを振り向いても前を向いても誰もいない。またね、なんて言葉が指す意味って一体何なんだろう。私の中ですごく、すごく、大きい存在だったはずのあの子からはまだ連絡が来ない。秋の間に会う約束をしていたのに。もう冬はやってくる。

 

人生にもドラマのような回想だったり何年後なんてテロップで飛ばせたりができたらなあなんてことを書いた日もあったけど。気付けばもう今年も終わりで。気付けば私の脳内では既に何年後は成立しているよう。あの頃に手を伸ばしたくて堪らなかったはずの今が過ぎゆく事実に戸惑う暇さえないらしい。

 

自転車を漕ぎながら泣いている私を心配してくれた友達に「ドライアイだよ」って笑って答える私の残像が見えてくる。確か、あの日にした会話の内容は当時流行っていたアイドルの新曲のこと。めいいっぱいの鍵かっこの中で沢山の会話をしていた。全てを空気に溜め込み、声にして会話をしていた。

 

天下一品のカウンター席で1番あっさりしたラーメンを食べながらこんな思い出もあったなといつか懐かしむ日が来るんだろうかと胸がざわめいた記憶がふっと現れふっと消える。喉が乾いて飲んだ水の冷たさも私はまだ覚えてる。簡単には消えやしないよ。消えやしない。