2019/11/20

 

私のだいたいは不機嫌だった。もう少しで去年が去年ではなくなることがものすごく怖い。私は知らないうちに過去にしがみついて生きていた。何かにすがりつき、何かに期待して、何かに押し潰されそうになりながら生きていた。実はその全てが自分自身で、誰でもない自分自身のために生きていた。

 

去年の春に東京で就職をした。東西線から千代田線に乗り換えて赤坂駅で降りる。窓から見えるスカイツリーを眺めながら死ぬことばかり考えていた。思うようにいかないことばかりだった。思うようにいくことだけを信じ毎朝おにぎりを作りメイクをして仕事に出かけた。それでも私は自分の弱さに勝つことはできない。泣きながら食べたオムライスの味は今もまだ覚えてる。渋谷の坂でウォークマンを落とした。表参道駅で降りる日はいつも体が重かった。初めて勇気を出して「会いたい」と言った日に彼は「会いたくない」と言った。私はきっと誰かに対しての未練で苦しんだのではない。誰かを失った自分に対しての未練で苦しんだのだ。あの頃も今も。

 

夏のはじめに仕事を辞めた。誰からも連絡は来なかった。仕事を辞めてすぐに大阪からパパがやってきた。一緒に映画を観て、昼間からお酒を飲んで、帰り際に「帰っておいで」とだけ言った。私はあのとき死にたくて生きたくてどうすることもできずにただ泣いていた。誕生日は朝から渋谷のプラネタリウムに出かけた。帰りにタワレコで好きなアイドルの新曲CDを買った。平日の都会の空を仰ぐ。失ったものは帰ってこない。その現実だけが私に襲いかかる。私はただ、幸せになりたかった。私はただ、私だけのデスクが欲しかった。私はただ、辛いときに誰かの温もりに触れたかった。私はただ、それだけのことも手に入れることのできない弱くて惨めな人間だった。7月の終わり、私は東京を去った。

 

去年の夏に大阪へ戻った。とても怖かった。みんなが励ますように「あなたに東京は荷が重かっただけだ」と言った。私は下手くそな笑顔を続けた。そうでもしないと恥ずかしさや虚しさや色んなもので壊れてしまいそうだった。上京前に友達から貰った色紙や手紙を無駄にしてごめんなさいと何度も心の中で謝った。東京で働く学生時代に仲間だった人の活躍を知る。クーラーの効いた居酒屋で「彼女は頑張ったから」「お前も頑張ればよかったんだ」という言葉に泣いていた。泣くことしかできない自分に腹が立った。東京で書いていた日記には自分自身に向けた「頑張れ」の言葉で溢れかえっている。私はそんな言葉にさえ負けてしまうほどの弱い人間だったのだ。早朝の駅までの道でこれからの未来を描きながらもう泣かないと決めた。死にたくなったら物語の続きを考えればいい。そう思えるようになった。

 

この前の日曜日に初めて歌集を買った。本を動かすたびにキラキラと光る表紙に笑みが溢れる。お気に入りの歌の上に百均で買ってきた付箋を貼った。懐かしい友達を思うように美味しかったドーナツを思うように好きだった人を想うように大切なものはこれから先もたくさん私の元へ訪れる。これはこれで幸せ。私だけの幸福。

 

寒い冬は布団の中で靴下を脱ぐ。もう一度履くことが億劫で、深夜にスマホのライトを照らしながら冷たい廊下を裸足で歩きトイレへゆく。例えば、そんな些細なことでさえ、文字に起こしたくなる。人は誰かのために書いた物語で出来ている。今どこかの家の電気が付いた。また一つの物語が始まった。

 

灯油ストーブの匂いを嗅ぐと思い出すのは中学校の掃除の時間。寒くて長い廊下を歩き灯油を運んだ。あったかい教室で冷たい手を温めながらドラマの話やアイドルの話をした。そしてまた寒くて長い廊下を歩き吹奏楽部の部室へ向かう。あの頃はあんなことが私の全て。私の人生。だったんだなあ。

 

私のだいたいは不機嫌だった。ストーブの温もりで優しさが生まれるのであれば、今頃きっと私のそばには誰かが居て私のことを愛してくれただろう。今日も生きました。みんな元気ですか。私は明日を想像します。昨日までの自分を許し、明日を生きてゆくのです。またいつか振り返るとき、そのときこそ私は。