2022/03/03

 

こんなにも寒くて本当に春は来るのか。と毎年のように心配しているけど必ず春は来る。もうじき雪も溶けて桜が咲いて出逢いと別れの季節となる。温かい風が吹くと心臓をギュッと握りつぶされたような感覚になる。季節の変わり目はいつも私を駄目にする。スピッツだって歌ってるでしょう。新しい季節はなぜかせつない日々だって。こればかりは本当にどうしようもなく、仕方がないことなんだよ。泣いてばかりの心はどこにゆくでもなく、宙ぶらりんな私にしがみついてる。

 

外のお店でクレジットカードを使うときはドキドキする。悪いことをしてるわけでもなく、特別なことをしてるわけでもないけれど「クレジットカードを使っている私」に対してドキドキが止まらない。大人になりこういうことがよくある。市役所に一人で向かうときもそう、誰かへのプレゼントを買うときもそう、高い化粧品を使うときもそう、何をするにせよ子供と大人では随分と違うのだ。皆は今一度そんな自分に対してのドキドキと向き合うべきだ。私ばかりがそうであっちゃ心臓が持たない。

 

考える時間が長くなった。お金について人生について仕事について将来についてエトセトラ。考え出すとキリがなく、更に言えば答えもなく。動き出そうとする一歩の足があまりにも重たいんだ。頭ん中では物事をよく理解して何をすべきかも何が必要かもだいたいの答えは出てる。答えに対しての答えがまだないんだ。「結局どうしたい?」私は毎日のように私のことを考えて誰かへの羨望やら未練やら後悔やらを抱えて生きている。こうして言葉にすることで少しだけ許された気分にもなる。

 

戦争だとか大災害だとか温暖化だとか流行風邪だとか、課題が多いこの世の中。ちっぽけな人間のちっぽけな主張に意味があるんだろうか。一人の発言が大きな力になるだとか言ってみないと分からないだとか行動力がないだけだとか、そういうことを言う人間は大抵全てを兼ね備えてる。何が分かる?あんたに何が分かる?こうした方がいい、ああした方がいい。はいそうですか、そうしましょうね。そんな簡単に物事が上手く進むんなら戦争だってなんだって今頃無くなってるでしょうが。私はそう思う。例えちっぽけな人間のちっぽけな課題だろうと大体の経緯は同じだろう。私は、そう思う。

 

まだ外は寒いけど太陽が出ると少しだけ体がホカホカする。カーテンを通り抜けて差し込む光の線がたまらなく愛おしい。春の訪れを感じ、心臓がギュッとなった。皆は今一度自分と他人の違いを考え直すべきだ。大人になると目の前が霞むんだ。だからこそ考え直すべきだ。何もできない私だから何も言えない私ではあるけれど。誰かを想い自分を想い平和を願うことはできる。今はどうかそれだけで許してほしい。まもなく春。