2022/02/19

 

早く夜行バスに乗りたい。夜遅くに知らない人たちと同じバスで同じ目的地に向かう。「背もたれ倒して良いですか?」のタイミングはいつも迷う。暗くて静かな車内。私は周りに気付かれぬよう、そっとカーテンの隙間から窓の外を眺める。高速道路の照明の光をめいいっぱい集めて目を閉じる。この日のためだけに用意したプレイリストを聴きながら朝を待つ。同じ目的地に向かっていたそれぞれは、バスを降りると次の新たな目的地に向かう。夜明けを共にしたそれぞれは、再び広い世界に舞い戻る。

 

今の窮屈な生活が始まるまでは毎年ライブに行っていた。好きなアイドルに会うため、夜行バスにもたくさん乗った。深夜のサービスエリアで雪見だいふくを買って、バスを降りた後も同じ目的地に向かう友達と半分こをして食べた。数年前に上京したときも夜行バスで地元を離れた。「いつか上京する日が来るならば絶対にこの曲を聴きながら」そう小学生の頃から決めていた音楽と共にバスは動き出したんだった。

 

結局、東京での生活はあっという間に終わった。夜行バスもあの頃から乗っていない。当たり前だけど人生は幸せなことばかりじゃない。一緒にライブに行っていた友達、一緒に東京で住んでいた仲間、色んな場所で出会った色んな人たちはもう私の人生に交わることがない。同じ目的地に向かって夜明けを共にした夜行バスの乗客たちのように、狭い箱の中から飛び出したそれぞれはもう私の人生に交わることがない。

 

早く夜行バスに乗りたい。鎌倉へ行きたい。最後に鎌倉に行ったのは上京したての頃。大好きな映画の大好きなシーンをなぞりながら七里ヶ浜の海岸沿いを歩いた。スケジュール帳の遡るページ数は私が私自身で刻んできた歴史なのに、どこか他人事だ。ページをめくればめくるほど自分のことが分からなくなる。幾つかの分岐点があったとして、私はいつからかあの頃の私を諦めてしまったんだと思う。懐かしむためだけの材料にしてしまったんだと思う。私は今の私を正当化したかったんだろう。

 

見上げると星が綺麗。世の中のだいたいを知らない私は少し欠けた未完成の満月がこれから丸くなっていくのか消えていくのかも知らない。帰り道、星と星を線で結びオリオン座を作る時間が楽しい。知りたかったことも今となれば知らなくていいことばかりになった。夜行バスに乗って好きなアイドルに会いに行っていた私はもう居ない。鎌倉にもしばらくは行けそうにない。それでもいい。それでもいいから、いつか窮屈な生活から抜け出した暁には知らない人たちと同じ目的地に向かい夜明けを共にする高揚感をどうか蘇らせてほしい。