2022/07/05

 

死ぬまでに好きなアイドルが東京ドームのステージに立つ姿を見ることができて本当に良かった。

 

好きなアイドルがアイドルを辞めて早二年。彼はまだ自分のことをアイドルと言っている。最近はテレビをあまり見なくなった。録画残量に悩まされるのも減ったし金銭面も楽になった。何よりも心に大きなゆとりができた。思えば私の中にある嬉しいも楽しいも悔しいも悲しいも全てが好きなアイドルの為に備わっていたらしい。天性の愛され者で嫌われ者だった。私にとっては可愛くて面白くて憎めない人だった。究極を言えば嫌いになれない人。あの時多くを敵に回したことが本意であれ不本意であれ、彼の何もかもを否定して目も耳も塞ぐような真似だけはしたくなかった。二年前、好きなアイドルは(私が理想とする)アイドルを辞めただけだ。ただそれだけのことだったんだ。

 

そうは言っても私が好きなアイドルに身も心も委ね続けた十数年は消えやしない。まだまだ一緒に見たい景色が沢山あった。たかがアイドルなのか?たかがファンなのか?私は私の人生を救ってもらったんだよ。暗い部屋で何百回も聴いた音楽。ディスクがすり減るほど再生したライブ映像。深夜のラジオに雑誌の切り抜き。同じ場所に同じ数だけ開けたピアス。コンサートで彼に会う度に思った。「私の今まではこの日の為だけにあったんだ」好きなアイドルは遠くへ行ってしまった。近ければ近いほどに遠くなってしまった。姿形が変わっても受け止めてあげられる度量がなかった私を許してほしい。ただ見たい景色が同じだと信じていたかった。誰かのそばで一際輝く彼が好きだった。不器用な性格も、拙い言葉も、愛され守られ自分の一部にしてしまう彼が好きだった。満員の東京ドームのステージに立ち眩しい光を全身に纏う彼だけが好きだった。

 

好きなアイドルはアイドルを辞めてしまった。所属していたグループは来年で二十周年を迎える。思い出は思い出のままで、好きな音楽も好きな音楽のままで。夏恒例の大型音楽番組が始まると寂しい心が蘇る。なんて例えるといいんだろうか。給食の時間に私だけが盛り上がる会話についていけない寂しさとでも言えばいいんだろうか。意地を張ってテレビも付けずSNSのトレンド欄で歪んだ情緒をじわじわと整える。かつての仲間の活躍、彼の目にはどんな風に映っている?私は上手く言葉にできそうにない。今日もまた好きなアイドルを好きになった日のことを巡り巡らせ平常を装う。

 

何が辛いのかを考えてみたけれど、どう考えたって全てが辛い。夜行バスに乗って地方のコンサート会場へ向かいたい。チケットの数だけ宝物がある。生きていく為に聴いていた大切な曲も二度と新しい歌声では聴くことができない。あの時語っていた夢はもう忘れてしまった?私だけが永遠にゴールできない旅がある。タワレコで新曲の予約がしたい。特典のポスターもファイルも結局使い道がないまま押し入れで眠り続けているよ。完璧じゃなくたって駄目な部分が多くたって別に良かった。私が好きなのは好きなアイドルが好きなアイドルとして存在する全てだった。「どこが良くて彼ではないといけないのか」その問いに答えは必要なのかなって。

 

初めて東京ドームで好きなアイドルに会ったのは高校生の時だった。これから先の人生は私が好きなアイドルを好きでいた年月よりもきっとずっと長いのに思い出の中でしか息ができない私は可哀想なんだろうか。死ぬまでに好きなアイドルが東京ドームのステージに立つ姿を見ることができて良かった。本当に良かった。もう二度と録画のダビングも新譜の数もコンサートのチケットも増えることはない。この二年の間で過去も今も未来とも私なりに折り合いをつけてきた。ウォークマンから流れる生きていく為の音楽だけは守り続けるであろう。数ヶ月前、今の彼に思いの丈を伝えられる機会があった。「不本意だけど憎たらしいほどに幸せな余生を送ってほしい」確かそんなメッセージを残した気がする。これが今の私の精一杯で最大限のはなむけとして。