2023/01/01

 

ああ、また新しい年を迎えてしまった。この文章を認めている頃はまだクリスマスだって未来の話なのにもう「あけましておめでとう」を言う日になってしまったのね。鮮明に残る映像たちは紛れもなく私自身が刻んできた記憶だってのにまるで絵本の中でしか出会えない夢の国のような眩しさを放つ。愛おしい気持ちとか苦しい気持ちとか照れくさい気持ちとかそういうの全部、誰かと共有して新しく刻み込んでゆけたらいいのにね。しいたけ占いによれば今年上半期の私は一生忘れられないぐらいの青春を味わうらしい。すっげー楽しい時間になっていくらしい。青春という言葉にとことん弱いのだ。これはあれか?歩道橋で追いかけっこしたり深夜のコンビニで缶チューハイと肉まんを買い分けっこしたり田舎の喫茶店で談笑しながらクリームソーダを注文したりするあれか?それならば私は鼻の穴を膨らませて期待しておくぞ。青春、大大大歓迎です。

 

今年こそ(念を押してもう一度)今年こそ鎌倉に行きたい。初めて行った日を今でも昨日のことのように覚えてる。タイヨウのうたで主人公の雨音薫は鎌倉の高台に建つ家に住んでいて、毎日窓からバス停で友達を待つ藤代孝治を眺めている。薫が孝治を見つけた公園もその先にある踏切も二人が付き合った七里ヶ浜の階段も薫がストリートライブをした横浜の広場も。あれから写真で見ることしかできない景色がとてもとても恋しくて堪らない。昔仲良かった友達とイヤフォンを片方ずつ付けて聴いた音楽。色んなことが始まった色んな瞬間がとてもとても恋しくて堪らない。あの感覚を忘れぬように、絶対に忘れぬようにと心に誓ってきたの。鎌倉にはしらす丼が美味しい季節に行けたらいいなと思ってる。

 

優しい人でありたいとか誰にも嫌われたくないとかそういう類が綺麗事になるんなら私はもう何者にもなれないし、何者にもなりたくない。日本語は好きだけど「なんでこんな言葉が存在するんだろう」と思うことも度々ある。傷つけたり傷ついたり誰かのために勝手に私だけが傷ついたり。心が折れそうになりながらも何かに立ち向かう勇気がほんの僅か足りないのだ。ほんの僅か足りてないから全てが中途半端なのだ。毎晩布団に入ってから沢山考えごとをする。あのときあんなこと言わなかったら良かったなとか、今日のあの行動は変に思われたかもしれないなとか。気になり始めると長く引きずり落ち込み突然思い出し恥ずかしくなりと無限負のループ。こういうのって数年後にまた再発したりするんだよね厄介だよね。大体のややこしいことは来年の私に託してきた。今年の私も昨年の私に託された課題で山積みだ。自分のペースで無理のない範囲で頑張っていければいいはず。大前提は「青春」なので。