2019/09/29

 

半年の間、毎日見ていた朝ドラが終わってしまった。思えば放送が始まった日はちょうど新しい仕事が始まった日でもあった。瞬きをしていたら仕事は終わり朝ドラも終わってしまった。相変わらず私は追いつかない。相変わらず私はついていけない。今日も、明日も、私はみんなの生きる世界に追いつかない。

 

パパが運転する車で高速道路を走ってるとき防音壁の四角い枠のひとつひとつが1枚の絵に見えることに気が付いた。まるでパラパラ漫画みたいだった。車のスピードが速くなるたびに「私たち人間は何を急いで生きてるんだろう」なんてことを考えてしまう。

 

お米の炊ける匂いが3階の部屋まで届くと嬉しい。カルピスの味が少し濃かったら嬉しい。美容院で飲むアイスティーは美味しい。渋谷のタワレコは楽しい。スーパーの特売は楽しい。夏と秋の間に吹く風は気持ちいい。何か小さいことでもいいから見つけることは多分、人間にとって大切なことだと思うのです。

 

引越し業者の人と電話をすることが心の底から苦手なのは一生治らない病なんだろうか。綺麗な口調で何度も何度も繰り返される「我が社が自信を持って」という言葉に心臓が痛くなる。私の泣きそうな声で発される「ありがとうございました」までがテンプレートだ。

 

最近はたくさんテレビを見る。毎週録画をしている番組は家、ついて行ってイイですか?とドキュメント72時間探偵ナイトスクープ。誰かの人生に触れると、私は幸せ者だなあとか馬鹿だなあとか可哀想だなあとかラッキーだなあとか色んな嬉しいや悲しいや苦しいが溢れ出してしんどくて楽しくて、やっぱりしんどい。

 

くだらない思い出ばかりをかき集めて幸せになってみたい。水族館に行ってお好み焼きを食べるだけのデートがしたい。マカロニサラダとコンソメスープを作りすぎる癖を治したい。カーテンの色を変えたい。新しい枕が欲しい。オーストラリアのお土産を貰いたい。夢を見て目が覚めても好きな人が隣にいる生活を送ってみたい。夜行バスに乗るためだけの旅に出たい。

 

大好きな音楽と大好きな映画と大好きな本さえあれば他に何もいらないと思っていた。だけど大人になればなるほど恋しいという感情はなかなか満たされないことを知った。やっぱり1人では生きていけないんだ。なんだろう、大人になんてなるんじゃあなかった。

 

ネットを見ていると色んな人の「疲れた」があほみたいに散らばっている。みんな自分が可愛くてみんな自分が可哀想。それは自分も同じだから誰の心にも寄り添うことができない。救いたいという感情とは別に触れたくないという感情だってある。人間だから仕方がない。

 

思ったことはすぐに文字に起こす習慣をつけたいんだけどなかなか上手くいかない。この間、チケットをもぎる作業を見ながら感じたことだって今はもうどれだけ頑張っても思い出せない。あの日あの時あの瞬間にしか出会えなかった自分をもっと大切にしよう。秋の始まり、私はこんなことを考えながら今日も眠りにつく。