2019/09/02

 

寂しいのか悔しいのか悲しいのか分からないです。腹がたつわけでもない。やっぱり純粋にものすごく悲しいのかもしれません。もう何にもいらないな。誰にも会いたくないな。信じるものが見つからないのです。

 

大概のことは笑って済ませた。仕事を辞めたことも、友達から連絡が来なくなったことも、部屋が片付かないことも、家族に嘘をついてることも、自分の心が弱いことも、うまく言葉にできないことも、全て笑って済ませてきた。それなのにふとした瞬間に突然ぶわっと込み上げてくる悲しみに耐えられない。

 

どっちにしろ私は過去を引きずる人間だ。前だけを向いて生きていける人間ではない。相手からすれば私はもうアルバムの中で笑ってる懐かしい友人の1人に過ぎないのかもしれない。悲しいけど仕方ない。そう考えると最後にちゃんとお別れをした人はほとんどいないかもしれない。それもまた相手からすればどうでもいいことなんだろう。

 

何回も自分の心に問いかけてる。「あなたは見返りを求めないんでしょう?」人に優しくすることが正しいと思う。人を助けてあげることが正しいと思う。きれいごとだと言われても構わない。許すこと、信じること、待つことが正しいと思ってる。もう一度自分の心に問いかける。「何か返ってきましたか?」そう聞かれると必死な自分の惨めさに泣いてしまいそうで。

 

同じような言葉ばっかりを並べて何回も何回も私は私だけのために書き起こしてきた。耳が腐るほどに私は私だけのために言い聞かせてきた。誰かも見ていてくれるかもしれない。時々そんなことも想いながら。

 

単純だから本を貸してちゃんと読んでくれるだけで嬉しくて幸せな気持ちになれる。単純だから誕生日にプレゼントを貰うとお返しは相手が絶対に喜ぶものをあげたくなる。みんなが自分みたいな人間ならいいのになあって考えられる日は、いつもより少しだけ自信がある日なんだろう。本当に、少しだけだけど。

 

孤独は何回味わっても慣れない。周りの人たちには恵まれてると思う。それなのにどうしても孤独から抜け出せない。歳を重ねるごとに泣き虫になってる。なんで泣いてるのかも分からない。赤ちゃんよりも気まぐれで不規則で下手くそな泣き虫だ。

 

十人十色って言葉があるくらいだから、人間みんな少しずつ違うんだろう。気があうねなんてよく誰かと笑い合うけど、やっぱりどこか違うから腹が立ったり悔しくなったりするんだろう。私は多分、不器用だから届けられない人間なんじゃなくて不器用だから受け取れない人間なんだろう。優しさを上手く受け取れなくて悲しくなっちゃうんだろう。寂しくて情けなくて苦しい。

 

同じような言葉を何度も何度も繰り返して言い聞かせて消化して再発して。厄介だな。厄介だけどだからこそ生きていけてるのかもな。ちゃんと日焼けした自分の腕を見るとなんだか安心した。今日も相変わらず私は私に問いかけてみる。「生きててよかったね」