2019/08/18

 

今までの人生を悲観してるわけではない。離れてるとはいえ親はいるし学校も通ってきたし家で温かいご飯を食べれるし暴力を振るわれたことも除け者にされたことも別にない。多少のいじめや仲間はずれ。失恋や孤独や失敗は時が経てば笑い話にもできてきた。何にもこうやって全てをあきらめる必要なんてない。そもそもまだ自分は22歳になったばかりだ。たった22年間の話だ。

 

忌野清志郎が死んだ年に両親は離婚した。つい数ヶ月前にこっそり覗きこんだパパの映画日記で知った。清志郎を敬愛してたパパにとってあの年はどうしようもなく苦しかったんだろう。それと同時に出て行ったママはいつか戻ってくると信じていた幼い私の健気さが哀れでたまらない。過去を振り返らずに捨てることは私には到底無理だ。その上、誰かを憎むこともできない。

 

お風呂に入りながら「死にたい」と泣いてしまう日は私の中から希望や夢は逃げていく。いつもそばにあるはずなのに私の中から離れていく。私はどこかおかしいんだろうか。誰かに縋る勇気もなければ確かめる勇気も自ら死ぬ勇気もない。ただ死にたくて生きたくて殺してほしくて許してほしいことばっかりで。

 

RADWIMPSの正解にある「自分をはじめて好きになれたの分かるはずない君に分かるはずもないでしょう」という歌詞に出会えて私は本当に本当に救われたんだと思う。自分を初めて好きになれた日のこと、あの気持ちは誰にも分からないこと、ちゃんと覚えていたんだって嬉しくなった。忘れちゃいけない気持ちが私の中にはまだまだ沢山あって、その全てが今の等身大の自分自身であって。ああ、この感じ、うまく言葉にできなくてもどかしくて愛おしいな。

 

最近はボーッと生きている。猫のように生きている。結局夏のうちにしたかったことは半分もできてない気がするけど何でもいい。これでいいんだ。扇風機の風を肌で感じながら「次は何色で爪を塗ろう」なんて考える時間が何よりも大切なんだよきっと。間違いない。

 

私が決めたことを最終的には受け止めてくれる親の元で育った。自由に、不自由なく夢を目指せる環境を与えてくれる親の元で育った。ぐしゃぐしゃに泣きながら真っ暗な闇の中にいた時期もあったけど私にはやっぱり私の幸せを誰よりも1番に願ってくれる親が必要で大切で守っていかなくちゃいけないんだ。

 

悲しいニュースが絶えないこの時代を世間は平和だと言い張る。答えが出ないことははじめから分かってるけれど本当の平和って何だろうとふと考えてしまうことがある。誰か答えを知ってる?

 

信号に引っかからなかったとか自動販売機のルーレットが当たったとか野良猫に出会ったとか月が笑ってたとか美味しいラーメンを食べたとか。そういうのが幸せであってほしい。平和であってほしい。

 

すぐに見失ってしまうけど、いつになっても全てが大丈夫にはなってくれないけど、親が元気でいてくれるだけであったかいご飯を食べれるだけで夢や希望がちゃんと私の中に戻ってきてくれるだけで生きていけるんだろうな。難しいようで簡単。不幸の捉え方は人それぞれでしょう。それならば幸せの捉え方も人それぞれだ。今までの22年間を無駄にはしない生き方がしたい。今の私が言えることはこれだけです。強く生きろよ、まっすぐ生きろよ、私。