2022/05/06

 

毎日お風呂で「シャンプー何回目だっけ?」となる私。なんとなく呟いた言葉に「こんな台詞あったよな?」となる私。ブックオフで買った漫画を宝物にしている私。一人で居る時間が多すぎて自分以外の意見に耳を傾けるのが怖くなった。好きな映画は好きなままでいたいし、いちいち好きな理由を言うのもめんどくさい。誰かと何かを話すとき相手の表情や相槌を意識しすぎると「あれ?私なんか変なこと言った?」となるのがしんどい。笑っても笑っても心が泣いている。触れることのできる存在に愛情が芽生えると私が辛い。私がややこしい。私だけが寂しい。例えば人間とか。

 

誰かへの執着が自分の首を苦しめるのは想いが一方通行だからなのか?そもそも私は相手の気持ちを確かめたことがあまりない。親からの無償の愛とは違い(これはこれでまためんどくさい)恋人やら友達は正直何を考えているのか分からない。どれだけ大好きな相手でも、時間が空けば分からなくなる。あんなにも忘れられない日々を共に過ごした仲なのにどうして私だけが寂しいんだろう。そんなことを考える夜もある。考えるたびに「新しい自分に変わらなくちゃ」と思うんだけど、結局のところまた心が泣いている。誰かのせいにしているだけで本当は私は過去の私に執着してるのか?

 

朝食に一人一切れずつ焼き魚が出るような家庭が怖い。それが当たり前の光景だと勘違いしている映画やドラマも怖い。反抗期真っ只中の子供や不倫中の旦那は「遅刻するから」と平気で食べ物を残して早速さと家を出る。一人一切れずつ焼き魚が出るような家庭でありながら母親以外の家族は箸にすら手を付けず家を出る。愛とはなんなのか。どうせなら残された味噌汁や焼き魚を片付ける母親の姿まで映してくれりゃ少しは情も湧くだろうに。

 

私には好きな人も恋人も結婚相手も居ないけどお兄ちゃんには彼女が居るらしい。きっと独りで生きていくんだろうなと思っていたお兄ちゃんに彼女が居て私は安心している。私が関係ない場所で誰かが幸せになったり不幸せになったりする分には興味がない。常に一歩離れたところから見ていたい。私が当事者になってしまうのはやっぱり辛いからみんな関係のないところで幸せになってくれりゃいい。どこにも属さずに満たされる日常があるならばそれで十分です。もう傷つくのは懲り懲りだ。

 

この先どんなに明るい未来が待っていようと、私は部屋の片隅でガラケー片手に好きなアイドルが出演するMステをガッタガタの画面で見ていた頃の私だけが恋しいんだろう。働く場所も大きなテレビもそれなりのお金もあるけれど、私は辛くて寂しい夜に「生きていてよかった」と思えたあの日々がたまらなく恋しい。そういうもんだろう。そういうもんだと、いいな。幸せになりたいだのお金持ちになりたいだの美人になりたいだの。ないものねだりは言わずもがな。贅沢な大人になってしまった。自分への執着から解放される日はいつなんだろうか。