2019/07/12

 

なんか分からないけど死にたい。そんな曖昧で不安定な気持ちを私は尊重したい。人間は誰しもなんか分からないけどなんかある。泣きたくなるときや笑いたくなるときもある。誰かに抱きしめられたいときだってある。それは何にもおかしくない普通の気持ち。

 

腹が立っていてもテレビを観ると笑顔になったり、悲しくてやるせなくてもお腹は減ったり、だいたいのことはあったかい布団で眠れば忘れたり。20数年間生きてみても分からなくてもどかしいことばっかりだ。行きたくて帰りたくて行きたくなくて帰りたくない。そんなことばっかりだ。

 

好きな人がいる。それはすぐ近くにいる人なんかではなくて遠くて少しだけ近くて遠い人。私はそんな存在に笑い泣き幸せを感じている。恋とも友とも違う愛の形がある。好きな人の全てが愛おしい。好きな人を作り上げてきた全てが愛おしい。好きが連鎖していく。繋がっていく。どんなことに置いても繋がりというものは素敵なものだ。大切にしたい。本当に本当に。

 

この世界は案外「いいな」で溢れてるんだな。昔ながらの喫茶店のモーニングに付いてるゆでたまご蚊取り線香の匂い。とんねるを抜けるときの眩しい光。錆びれた螺旋階段。住宅街に佇む駄菓子屋さん。

 

私はきっと何者にもなりたくないんだと思う。私は命が尽きる日まで私であり、それ以外の何者でもない。なりたい何かなんて本当はないんだろう。強いて言うんであれば、学生時代に先生が教えてくれた映画のワンシーンが時々背中をそっと押してくれるように誰かにとっての優しさでありたい。なんか同じようなことをコジコジも言ってた気がする。

 

上手く話せなくて相槌を打てなくて笑えなくて相手をつまらない気持ちにさせてしまったんじゃないかと心配になることがある。例えばこんな自分の駄目なところを取り除いてあげればもっともっと明日を楽しみに生きられるはずなんだ。はずなんだけどな。

 

私は自分が駄目な人間だということをちゃんと知っている。だからそんなにも「駄目だなこいつ」って顔で見ないでほしい。たまに頑張ってるねと私のことを何も知らない人に言われたりもするけど、私はいつだって早く帰れることばかりを考えたりトイレにこもってしまったり中学校でsaxを吹いてた頃の自分を思い出して涙が出そうになったりする駄目な人間だから許してほしい。もちろん、頑張ってないわけでもないんだけど。

 

藤原竜也が主演の映画を観ながら面白いと思っていたら面白くなかったって1番嫌だし悲しいなあなんてことを考えた。面白くないと思っていたら面白い方が何倍もいい。ただ食べ物だけはいつも美味しそうであり美味しくあってほしい。

 

今日も朝から焦って色んなことを間違えてしまった。電車の中が蒸し暑く色んな匂いが混じっていて息ができない。イヤフォンからはクリープハイプが「大丈夫」だと歌ってる。私は多分、今日も大丈夫だからちゃんと生きよう。明日は最後の土曜日だ。