2019/06/30

 

年を越してからもう半年が経つのか。瞬きをするたびに時間は過ぎていく。楽しかったことも悲しかったことも月日の流れには関係がないらしい。私の心なんてそっちのけに時間は確実に過ぎていく。

 

もう、ラブソングもラブストーリーも飽きたから本物の愛がほしい。コンビニの肉まんを半分こするような、雨の日に傘を持って駅まで迎えに行きたくなるような、そんな本物の愛がほしい。大好きな人と部屋のソファで観るローマの休日なら退屈しないんだろうな。

 

私にとっての当たり前は誰かにとっての当たり前ではない。そんな当たり前を忘れてしまうことがある。私にはおじいちゃんが3人いて従兄弟は何人いるのか分からない。ママは男の人と住んでるけど彼がどんな存在かは上手く説明できない。一緒に住むお兄ちゃんと最後に口を聞いたのは1年以上も前のように思う。私にとっての当たり前はこうだけど誰かにとっての当たり前はこうではない。そんな当たり前を忘れてしまうことがある。

 

若者らしく、あいみょんの音楽を聴き山戸結希の映画を観て感銘を受ける。上手く演じられた下手くそな人間たちにまんまと騙され涙を流し、世の中に突き放されたとて「そんなもん知るか!己の人生だ!」と頑固に生きてしまう。嗚呼、ほんと若者らしくて嫌んなるな。

 

不謹慎な話をすると私は毎日どっかで死んでしまうことを期待している。死にたいわけではない。ただ普通に生きている中で偶然死が訪れてくれることを待ってしまっている。なんて親不孝な話。

 

学生の頃、大好きだった人はいつもメールの文章のはじめに私の名前をつけてくれた。「○○ちゃん明日何してる?」「○○ちゃん今日の1限何やっけ?」それがとても嬉しくて愛おしかった。誕生日、久しぶりにメッセージがきた。「○○ちゃん誕生日おめでとう」こんなにも人を好きになったのは初めてだった。私の青春にはまだ続きがあるのかもしれない。そう思ってしまった。

 

今の仕事が終わると何をするか考えてみた。まずは髪の色を変える。そしてクリームソーダとプリンを食べに喫茶店へ行く。さくらももこのひとりずもうを読む。秋に入ったら鎌倉に行きたい。帰りは横浜の中華街で小籠包を食べる。楽しいことだけをしっかり考えて立ち止まらずに生きるんだ。

 

人は誰しも弱く脆くあってほしい。こんなにも弱く脆く悲しく悔しいのが自分だけじゃないことを信じたくてたまらない。今日もまた涙をこらえていた。

 

年を越してからもう半年が経つのか。毎日が苦しくて仕方がなくても、もう半年が経つのか。この半年間をそれなりにやれてこれたんだから残りの1ヶ月なんて大したことはないだろう。無理しても笑ってりゃあ、あっという間に過ぎていくさ。おしまい。