2019/06/01

 

自分が体験するものを誰かに押し付けられる必要はないだろう。「これいいよ」と言われて興味を持つことも勿論あるけど、結局は自分が見つけたものが何よりも愛しい宝物になることを願って生きている。

 

湯を沸かすほどの熱い愛を観た日。映画館を出てから駅までの道を全速力で走った。湧き上がる感情をこうでもしないと落ち着かせられなかった。いい映画を観ると世界が輝いて広がって大きくなる。誰かの手で作り上げられた何かで涙を流せる人生はあまりにも素晴らしくてどうにかなっちゃいそうで大変だ。

 

優しい人でありたい。誰になんて言われようと優しい人でありたい。人に優しくしていると、自分も優しくしてもらえる説は本当だと思う。板チョコのボコボコは分けるためにあるんじゃなくて、もともとあった形をみんなが「分けるためのものだ」と捉えたらしい。私は誰になんて言われようとこういう優しさを持っていたい。

 

落ち込んだときはくだらない話をしていたい。ラブシャッフル松田翔太ってかっこいいよね〜とかセブンの塩むすびって美味しいよね〜とかトリートメントどこのやつ使ってる〜?とか最近の学園ドラマいまいちだよね〜とか。本当にくだらなくてどうでもいい話をして笑いたい。それだけで救われることだってあるんだから。

 

指輪やピアスを身につけた日はいつもより少しだけ気持ちが弾む。去年の今頃は、毎日が苦しかった。周りの人たちが大丈夫だよと言ったとしても自分で自分を傷つけて許せないことばかりだった。とめどなく溢れ出す悔しさには今もまだ蓋ができていないままだ。だからこそ自分で自分を幸せにしてあげないと駄目なんだ。

 

今日と明日が休みだと分かっていただけで昨日は無敵だった。私は単純な人間だから簡単に嬉しくなるし簡単に悲しくなれる。モチベーションだって簡単に上がるし簡単に下がる。明日のことを考えてもいいのは休みの前の日だけだ。それ以外は考えちゃいけない。

 

そろそろ部屋の模様替えをしたい。窓を開けて空気の入れ替えをしてお布団を干して掃除機を当てないと。夜は遅い時間まで映画を観ようか。今そんなことを文字に打ってるだけで胸が高まって収まらない。ほらやっぱり私は単純な人間だ。情けないほどに。

 

去年の暮れに読んだ、ボクたちはみんな大人になれなかったがとても良かった。90年代を駆け抜けた人たちのことを心底羨ましく思った。MDでオザケンを聴きながら紙袋を目印に好きな人と待ち合わせをするような、そんな時代を生きてみたかった。これはきっとないものねだりになるのかもしれないな。

 

毎日を大事に生きよう!そんなにも意気込んで生きるつもりはない。それでも優しく強く真っ直ぐに生きていくことは忘れたくない。私が好きな人はどこまでも真っ直ぐなんだ。せめて彼みたいには生きてみないと。