2019/05/29

 

ドラマの録画が溜まってきた。録画残量が減っていくと心の余裕も減っていくようで。私が探していたものってなんだっけ。私が求めていたものってなんだっけ。なんかこんな歌詞あったな。なんだっけ。

 

小さい頃は、大人になった自分の姿が全く想像できなくてハタチになるまでに死んでしまうんじゃないかと思っていた。その気持ちはハタチを過ぎた今も継続中で、大人になんてなりたくない。なってやるもんかとどこかで意地を張っている。今でもママには甘えたいし好きな食べ物はオムライスだと言っていたい。泣きたいときは泣いて、好きな服も着ていたい。

 

行きつけの居酒屋で「いつもの」と言いたいな。部屋のソファの上でプロポーズをされたいな。真紅なポルシェに乗りたいな。オーロラを見に行きたいな。大好きな人に大好きだよって言いたいな。また江ノ電に乗って七里ガ浜に行きたいな。また映画を撮りたいな。一人暮らしをしたいな。家族みんなでご飯を食べたいな。運命の人に出会いたいな。

 

いつだったか、死ぬまでにしたい10のことという映画を観た。私にはまだまだしたいことがたくさんある。希望や夢もあるし楽しみや喜びもある。それとは別に死にたい日もある。誰も分かってくれなくていい。

 

アヒルと鴨のコインロッカーのラストシーンが時々脳裏に浮かんでくる。コインロッカーに神様を閉じ込めた彼らの行く末は私には想像もつかない。あのとき感じたこそばゆい胸のざわめきは今でも私の中に備わってる。

 

高校生の頃に仲良くしていた子が電車の中でマタニティマークを付けた妊婦さんを見て「本当に妊婦さんかどうかなんて分からないよね。嘘ついてるかもしれない」と言ったことがあった。あの日のことを思い出すと、悲しくてやるせない気持ちになる。この世は私には理解できないことばっかりだ

 

予防線を張る。傷付かないように傷付けないように。好きなものを声に出して好きだと言えるまでにとても時間がかかった。何も悪いことをしていないのに好きなものを馬鹿にされたことがある。そのときに挫けてしまった自分が今でも悔しい。

 

最近の悲しいニュースがネットに流れてくると自分が今ここで悩んだり悔やんだりしていることが不思議に思うんだ。あいみょんの生きていたんだよなを聴くと涙が止まらない。みんなみんな幸せでいてほしい。

 

どれだけ心に余裕がなくたってお腹は減る。眠たくなるし遊びたくなる。誰かが必死だからといって私も必死になれるわけじゃないらしい。生きてるか死んでるか分からない夜が今日もやってくるんだな。