2019/05/27

 

目が覚めたときに「今日」を諦めてしまうことが増えてきた。確約された未来のために生きることはできても終わってしまった過去のために生きることはできない。私は何かが始まると同時に終わることを想像してしまう人間だ。また1つ未来が過去に変わってしまった。

 

拝啓あの日の僕へ。今はココで立っています。誰かに笑われた夢を今もココで見続けてます。時に見失いそうになって時に全てをあきらめてあせって望んでは傷ついた僕の中の弱虫笑ってた。

 

指でなぞりたくなるような応援歌がある。そんな歌を大好きな人が歌っている。それを今年もまた生で感じることができた。力一杯届けてくれる言葉を、体の全てで受け止めて流し込む。ああ生きてんな。私生きてんなって嬉しくなる瞬間は今までもこれからもこれがいい。この瞬間だけがいい。

 

ジョゼと虎と魚たちを観たくなる季節がまたやってくる予感がした。時々ジョゼは今どこで生きてるんだろうと考える。強く生きていてほしいなと考える。

 

夜行バスで聴くRADWIMPS25コ目の染色体が心地いいことを私は知ってる。夜行バスは胸が高まる場所へ送り届けてくれる魔法の箱だ。窓の隙間から朝日が差し込んでくると、降りたくないなあと思う。私はすぐに永遠を探してしまう。夜行バスはそんな永遠が簡単に手に入りそうな気がして怖くなるんだ。

 

切れかけの電球。食べかけのビスケット。脱ぎっぱなしのジーンズ。干したままの靴下。あと数滴でなくなる目薬。栞が挟んだままの小説。封が開いていないCD。荷ほどきができていないリュック。窓から入る風。財布からはみ出る昨日のライブのチケット。また今日が終わっていく。そしてまた明日が始まるんだな。

 

本を読み終えたあとってなんで遺書を書きたくなるんだろう。初めて見た景色を懐かしく感じるのはどうしてだろう。誰も教えてくれないハテナがどんどん溜まってきたからそろそろ旅にでも出ようかな、なんちってな。

 

明日は雨が降るらしい。雨の音を聴くと不安になるから嫌いだ。でも窓の外を見下ろしたときにたくさんの傘が狭そうにぶつかり合う姿は嫌いじゃない。これもまた誰も教えてくれないハテナの話。

 

私は何かが始まると同時に終わることを想像してしまう人間だ。ひとつひとつ終わりを塗りつぶしていくといつか全てが終わってしまうのかもしれない。例えばそれが死ぬときなのだとしたら、どうだろう。怖いくらい何も想像できないや。