2019/05/15

 

夢は見るものじゃなく叶えるものだ。こんな言葉を腐るほど聞いてきた。本当にそうなのかな。私は、夢は見るだけでもいいと思う。その方が幸せなときだって腐るほどあるだろう。私は何か間違えてるのかな。

 

ハタチのときに夢を持った。私は宝物を見つけたんだと嬉しくなった。「私にはこれしかない」と信じた。信じた日のあの景色は忘れないし忘れちゃいけない。あの景色を思い出していると19のあの紙ヒコーキくもり空わってが頭の中で流れる。元気ですか?と自分に問いかけるみたいに。変な話だ。

 

ドキュメント番組に影響されやすい。この世にはこんなにも素敵な人がたくさんいるのに私は何をしてるんだろうと思ってしまう。この気持ちも忘れちゃいけないんだろうな。頑張れよ、頑張れよ自分。

 

事あるごとに大きな選択肢を迫られる。他の誰でもなく私自身に迫られる。ひとつひとつに優先順位を付けていくことができない。どれも大切だしどれも要らない。だいたいのことは体調によるし気温によるし環境によるし日によるんだから仕方がない。

 

不幸な主人公が登場するドラマだって最終回には幸せになる。恋愛経験がない主人公が登場するドラマだって最終回には彼氏ができる。これも仕方がない。

 

高橋優が歌うほんとのきもちみたいに、全てがよくわからなくなることが度々ある。なんであの人は怒ってるのかわからないし、なんで私はここに居るのかもわからないし、どれもこれも奇跡とか運命って言葉で片付ける人が多すぎる。

 

自分のことも曖昧なのに誰かの気持ちなんて知ったこっちゃないだろう。それなのにどうして知りたくなるんだろう。ソラニンの種田が死にたくなった気持ちだって私は未だに知らない。誰かのことを知れたら自分のことも知ることができるのかな。そんなこともないのかな。

 

私は今までの人生で色んなことに躓いて、失敗して、後悔して、涙を流してきた。そんな中でも夢を持ったことだけは後悔したことはない。そうなんだ。そういうことなんだ。迷い悩む必要なんてないはずだ。

 

明日からの不安はどこにも飛んで行ってはくれない。明日からの自分は自分次第でどうにでもなる。自分を信じてあげた日の景色を忘れるものか。そう胸を張って生きてやれ。やっぱり夢は見るものじゃなく叶えるものなのかもしれないな。ちゃんと考えることにしよう。