2020/06/20

 

言葉は曖昧だ。人によって捉え方は違うでしょう。伝えたいことの半分も伝わらない世の中で器用に生きていけという方がおかしい話だ。深夜のラジオ番組でくだらないトークを永遠と繰り広げている。これくらいが丁度いい。みんな阿保になってしまえばいい。

 

久しぶりに外でお酒を飲んだ。新しい仕事場の飲み会は今回が初参加になった。私だけが初めての人間だったらしい。これまでに参加した飲み会の中では一番まともだった。店員さんの態度は一番酷かった。メニュー表にあった「ラーメンマン」というものを興味本位で頼んでみた。普通の豚骨ラーメンが来た。普通の豚骨ラーメンを数人でちょっとずつ分け合ったあの空間はなんだか愛おしかったと思う。

 

小学生の頃、なんとなく詩を書いた。じいちゃんと散歩をしたときにじいちゃんから聞いた話を書いた。日本に咲くタンポポの半分くらいはね、外国からやってきたタンポポなんだよ。そんな感じの話。私は人間と同じだなあと思った。そんな気持ちを詩に書いた。内容はあんまり覚えてないけどパパに見せると嬉しそうに読みながら投稿しようと言って毎朝パパが聞いていたラジオに送ってくれた。自分の言葉が誰かの心に響く。そして広がっていく。あの喜びが、感覚が、今もまだ私の中にあるんだろうな。大事にしたいな。ずっとずっと。

 

少し不満を吐いてみる。「人の悪口を言わない。言ってしまったとしてもそれを外に漏らさない」こんなにも簡単なことをどうしてみんなできないんだろう。たったこれだけで世界は少しだけ平和になるというのに。「人の好きなものを馬鹿にしない」こんなにも簡単なことをどうしてみんなできないんだろう。一度でも数秒先の未来を考えたことがなかったんだろうか。

 

少し自分を褒めてみる。ご飯を食べてお風呂に入って偉いね。歯磨きをして偉いね。自転車を漕げるなんて凄いね。文字を書けるなんて凄いね。早起きできるなんて偉い。お米を炊けるなんて凄い。毎日ちゃんと生きているなんて偉業だ。もっと褒められるべきだ。

 

二年前に東京でウォークマンを盗まれた。渋谷から表参道までの坂道を走ってるときリュックサックのポケットから落としてしまったらしい。振り向くとウォークマンはもうなかった。あの頃の私は本当に弱い人間で、盗んだ誰かよりも落としやすい場所に入れていた私が悪いと思っていた。それほどまで弱い人間だった。坂道を泣きながら走った。走らないと仕事に間に合わなかった。怒られたくなかった。私がウォークマンを落としたことなんて知らない大人たちが待つ表参道まで人をかき分けながら走った。涙で前が見えなかった。

 

あれから二年。新しいウォークマンを買った。買い物が下手くそな私は落としたものと全く同じウォークマンを買った。ママは「縁起が悪い」と苦い顔をする。新しい種類のウォークマンは大きくて機能が多くて難しい。私は何も間違っていない。小さなウォークマンを片手に強い人間を装って坂道を登っていくんだよ。